二人のリューン

私から見たリューンのおはなしをしたいと思います。この感想・考察(と呼んでいいのかわからないような何か)は何にも基づくものはありません。それでは。

 

 

「もしも俺が道を誤った時は、お前が俺を救ってくれる。そうだろ?」

「うん……約束する。この身を呈してでも」

 

二人のリューンと滅びの剣をめぐるストーリーは二人のこの“約束”によってはじまったのではないだろうか…

 

 

ルトフの里に伝わる「滅びの剣」

 

それが生まれたのはかつてルトフの里が大国だった頃。

国を愛し、民を愛していたガンドラ王が王という権力に狂い、その権力を脅かす存在であった魔法使いを殺したことによって、魔法使いを刺した。その剣は持ち主の意思を差し置いて殺戮を繰り返す「滅びの剣」となったのだ。

それから滅びの剣は風の魔法使いによって封印され、1000年間その封印は解かれることなくルトフは平和な里として民が暮らしていた。

 

 

―――しかし、滅びの剣の封印が解かれ、そんな生活が一変した。

 

手にしたものは生きるものすべてを皆殺しにするまで止まることができないという滅びの剣、その剣を手に取り敵国・カダの兵のみでなく、ルトフの民も殺し里から去ったダイと、そのダイを止める為に追う決意をしたフロー。

 

滅びの剣に自我を奪われてしまったダイを止める(殺す)ために旅に出ることを決意したフローの頭の中ではこの約束が思い出されていたことだろう。

 

「もしも俺が道を誤った時は、お前が俺を救ってくれる。そうだろ?」

「うん……約束する。この身を呈してでも」

 

  1. 身を呈して 

    その後のフローは、潔癖なまでに「身を呈して」ダイを止めることに固執していた。

     

    滅びの剣に対抗することが唯一できるというドルデンの魔剣を手に入れるため、試し斬りに左腕を差し出したたたらの島。

    ダイと対峙した際には、腕も耳も声も失った満身創痍の状態でも剣を振りかざし、最後には滅びの剣の力に対抗するためには必要不可欠といわれているドルデンの魔剣さえ地面に置き、その身一つでダイを受け止めようとする……

     

    これらの行動は恐ろしいほどに自己犠牲的で、フローに対して畏怖といった怖さを感じざるを得ない。

     

    固執していた」という点においては、ルトフの里に戻った後、事の顛末をフローリアやアリーシャに聞かれた際に「ダイス先生が―――」と答えていたことがとても印象的だ。

    フローにとってダイとの約束を守ることは、これほどまでに犠牲を払ってでも成し遂げたかったことであったのだろう。「ダイを救う」という目的を達成できたにもかかわらず満足気には見えない様子は、ダイをルトフの里に連れ帰ることができなかったからではなく、自らの力で解決することができなかったからなのではないかと思えて仕方なかった。

     

    「約束したんだ!」と命の危険があるにも関わらずダイを探す旅の出ることを決断する素直さ。

    片腕を失ってもなお、たたらの島の人々の幸せを願うことのできる高潔さ。

    ダイを探す旅の途中、滅びの剣とそれを止める力を持つ自身の歌声を利用しようとするファンルンに対しても、自らの命に危険が迫っているというのに協力するふりをするといった小細工をしようとなんて一切しない清廉さ…

     

    そのどれもが眩しいほどにまっすぐすぎる選択で、そのまっすぐさが美しくもあり、危うくて怖ろしい。

    ただ、狂気的で怖ろしくある反面、周りに救いをもたらすことのできる強さの原動力でもあるのだろう。

     

     

    そんなフローの選択は自己犠牲的であり、それも無意識に選んでいるように感じた。

    その無意識の選択はフローの本来持っている“まっすぐさ”と、ダイとの約束ゆえなのではないだろうか。

    冒頭のフローとダイの約束は二人の深い関係、信頼を表すものでもある一方で、ダイがフローにかけたのは呪いなのではないか……

     

     

    たしかにダイのあの約束はずるい。

    あの時はあんなことが起こるなんて誰にも分らなかったし、予想だにしていなかった。

    けれど、「道を誤った時は」なんて言ったということは、いつか自分が間違いを起こすことを予想していたみたいじゃないか…

     

    でも、私は二人のリューンの呪いはもっと前から始まっていたのだと思う。

     

     

  2. あの日のパン

     

    ダイとフローが出会ったのは戦火の中だった。

    同じリューンの里で生まれた二人は、戦争で親や家族を失くし、一人ぼっちになるまで知り合いではなかった。ダイとフローは初めから二人ぼっちだったわけではない。

    出会いのきっかけは一つのパン。

    パンを奪うつもりで近づいたダイに、フローはそれを2つに分け、渡したのだ。

    その時、ダイはどんな感情になったのだろうか。

    パンを奪う行為が“悪”なことはきっとダイもわかっている。

    それでも、「戦争だから仕方ない」「生きる為に仕方ない」と心を決め、パンを持つ自分と同じくらいの年頃の少年に近づき、奪おうとした。

    そんなときに相手から100%の善意でパンを分け与えられたら…

     

    もちろん「なんて優しいんだろう」「これで生き延びられる」と思ったのは間違いない。

    ダイにとってフローは命の恩人に違いないし、お互いに極限の状態だったにも関わらず助けてくれたことに感謝もしているだろう。

     

    だけど…

    ダイにとってフローは自分のできなかった“善”の選択をした人であり、自分の間違いをありありと見せつけてくる存在なんじゃないだろうか。ある意味で両極的な二人、ダイはフローの中に自分の持っていないものを見ることで、無意識的にだとしても、自分の愚かさを映し出されている気分になってはいないだろうか。

    平たく言えばある種の“劣等感”を抱かせる対象となるような存在になってはいないだろうか。

     

  3. ダイからフロー

    そう考えるとダイが目に見えるものにこだわっているのも理解できるような気がする。

    フローが持ち合わせているものは目には見えない「心」の力だ。

    一方で、ダイは実用的で物理的な「武」の力を磨き、そして目に見えない魔法や伝説といった類のものは信じていない。

    その考え方は「あの日のパン」の体験の“善”への挫折からきているのではないかと考える。

     

     まだ過去を引きずり、思い出してはパニックを起こしてしまうフローを守れるような強さ、力。

    それはフローに対する劣等感のような何かから脱却するための客観的なものだろう。

     

    それがダイにとって、物理的な強さを持つこと、剣術の腕を磨くことだったとしたら…

     

     

  4. 互いが互いを

 

今回はダイから見たフローとの切れない繋がりを考えてみた。

しかし、ダイとフローの関係は一方的なものではなく、互いが互いを支え、かつ縛り付け合う関係だと思う。実際に、冒頭で引用した劇中のセリフは「ダイがフローを縛っている」と解釈している方が私個人の体感としては多数派だった。そこから「じゃあ、フローはダイを縛っていた可能性はないの?」と思って…というのは建前で…「そんなのダイばっかかわいそうじゃんか!ダイがこの約束を持ちかけた理由だって何かあるはずだよ!」とダイのモンペ()必死の悪あがきの解釈をしてみたのでした。

 

良くも悪くも互いに引っ張られながら存在し、選択し、生きてきた二人。

滅びの剣が再び封印され、別々の道を進むこととなった二人。

二人が別れて生きていく未来はどうなるのだろうか。

一度別れてしまったら、二度とかつてのような共依存の関係に戻ることはないのであろう。

だって互いがいない世界を知ってしまうのだから。

誰かの隣じゃない“自分”として、

きっとこれから二人のリューンは、一人とひとりのリューンとして生きていく。