ページをめくる前夜によせて 関西Jr.の大橋くんへ

 

―――――ついに明日はなにわ男子のデビュー。

大橋くんに届かないのをいいことに、今の気持ちをせっかくだからお手紙という体で残したいと思います。

関西Jr. 大橋和也くんへの最後のお手紙。

 

―――――――――――――

今日はついに関西Jr.最後の日ですね。
私が好きになった大橋くんは、まだグループ結成前の「関西Jr.の大橋くん」でした。
それから「関西Jr.なにわ男子の大橋くん」になり、
明日からは「なにわ男子の大橋くん」になりますね。

大橋くんのファンだと自覚してから約3年半、時には振り落とされるのではないかと思うほど多くの目まぐるしい変化がありました。
それでもずっと「今の大橋くんが好きだ」と変わらず思わせ続けてくれてありがとう。

どうしたって目が離せないダンス、才能を自分のものにし武器になった歌声、見ると安心してこちらまでつられて笑ってしまうような笑顔、、、

好きなところは挙げ始めたらきりがないくらい、もはや何を言えばいいかわからなくなってしまうほどです。とはいえなにか挙げろと言われたら私はことあるごとに大橋くんが要所要所で伝えてくれる言葉が大好きだなと思います。文章ではなくその場で伝える時は迷子になってしまうときもあるけれど、一生懸命こちらに伝えてくれる言葉が大好きです。


デビューとなると、今までとは比にならないくらい変化があるかと思います。それでも、肩書きや立場、お仕事をする場所が変わったとしても変わらず好きでいられる、応援していられると胸を張って言うことができるのはひとえに大橋くんへの信頼からです。

「デビュー」という辿り着くまでのはっきりとしたレールは無いとはいえある意味明確な目標を達成した今、大橋くんが夢として挙げている言葉は「地球」や「宇宙」「スーパーヒーロー」など達成したかどうか測るのが難しい規模のものばかり。

それでも、だからこそ、私はその目標が達成されるまで応援していきたいし、大好きでいたいと思います。これは「ずっと好きだよ」の代わりとして受け取って欲しい。
きっと大橋くんが満たされるまではなかなか険しい道になることでしょう。その間勝手に応援していようと思います。ファンのことなんて待たなくてもいいけど、時々思い出したように手を伸ばした時にはすぐに気付いて握り返せるような存在でいたいと切に思っています。

 

デビュー前日である今日2021年11月11日のお昼頃、出勤前に渋谷のTSUTAYAに行ってきました。入り口からなにわちゃん一色で私と同じようになにわ男子のことが大好きな人たちの嬉しそうな雰囲気で溢れ、店内には初心LOVEをはじめとしたなにわ男子の楽曲が流れていました。

ずっと願っていた大橋くんのデビュー、こうしていざ形になってみるとどこか夢みたいで、「本当にデビューするんだなぁ」という実感とともに、唐突な「アイドル」「ジャニーズ」「大橋くん」との出会いがこんなに素敵な体験につながっていたとは…なんて最高なんだろう!とどうしたらいいのかふわふわとした気分になりました。これからもこんなことがたくさん起こるんだろうな。

その度に伝えたい言葉は変わらず、
これまでの道のりをすべて含めた上で"今"の大橋くんがだいすきだよ!一緒に幸せになろうね!

 

関西Jr.の大橋くん、ありがとう。

なにわ男子の大橋くん、明日からもよろしくね。

 

 

自宅待機期間にタイドラマ

 

この春、晴れて大学を卒業し、社会人の一員に。

しかし新卒1年目、入社してから一度も出社していません!!!

世界的なあれやこれやが起きておりまして、在宅勤務の対応が主流となる中私もその対象となりました。

が、しかし、あれよあれよという間に自宅待機という名のニート生活の始まり…

 

ありあまる時間!!!

 

とはいえ何にもしたくねぇ!!!

 

ドラマも映画も本にも飽きたころ、ふと思い出した覗き見(リストに入れてる)しているアカウントのツイートで見かけた「タイBLドラマ」という概念。遠くの方に見える盛り上がりを見せる燃え盛っているのであろう煙。

私は何かわからないけど盛り上がってるコンテンツを軽率に覗きに行くのが大好き!なのでこの腐るほどの時間を以てしてなら余裕だろうと手を出すことにしました。

 

というかこの流れ、しょっちゅうやっていて(笑)そもそもジャニーズJr.にハマったのもこんな感じのノリだったし、最近のことで言えば2019-2020年にかけて話題になることの多かったProduce101を見て1pickを決めたり、「18年ぶりの新刊!」で沸いていた十二国記も全巻読んでみたり…と軽率に楽しそうなコンテンツに手を出しちゃう。

とはいえこの自宅待機期間に全く馴染みのなかったタイのドラマにハマるとはさすがに思ってもみなかったな・・・

 

どうしてこんなにハマっているのだろうか、3点にまとめて考えてみました!

 

①そもそもBLに対する抵抗がない

これが最初にして最大のハードルだと思う。

私は元々そういうジャンルが特別好きというわけではなく、とはいえ嫌悪感もない、何なら今までもハマったものはある。みたいな状況にいたのでまず初めの「BLドラマを観る」という行為に抵抗がなかった。多分このフィルターの網目がいちばん細かいんじゃないかな…

「いや、なんでBLの話し始めたの?」という話なんだけど、今いちばんアツいタイのドラマは大学が舞台になっている同級生の男子同士の恋愛模様をタイのバンドの曲に合わせて描いた作品で、私もそのドラマを最初に観ました。ただいくら話題になっているからといっても「BLドラマです」と言われると抵抗感ある人もいるよね~、わかります。

タイのドラマ、もちろんBLだけじゃないんだけど、ただ日本のファンが多いのがこの層だからステマが多くて作品の内容が知れたり、字幕がついているものが多かったりと間口が広いので入りやすい。それ以外のルートをとるのは日本からだとなかなか茨の道かと… 

私が初めてBL作品に触れたのはみんな知ってる日本の大ヒットドラマ「おっさんずラブ」でした。それも深夜の単発ドラマ版。これがおっさんずラブの元祖です。マウントすな。言ってしまえば連ドラの方はちゃんと見てません(笑)シーズン2からはノータッチでした。

そのあとLGBTQの登場人物がいるおもしろいなと思ったドラマとしては「女子的生活」「きのう何食べた?」「腐女子、うっかりゲイに告る」とかも観てた。

振り返ってみても特別BLドラマが好きというわけでもないですね、基本的になんでも観ます。そもそもドラマが大好きです。ドラマの相関図が大好きで中学の頃は「テスト勉強頑張れ!」と親にテレビ誌を買ってもらうこともあったくらいにはとにかくドラマ好き。

 

私は漫画やアニメをほとんど見ないのでドラマ以外の商業BLって触れたことがなくて知らないことばかりなんですけど、男性同士の恋愛にロマンを抱くこともそういった作品自体も「夢と希望がてんこ盛りなラブロマンス」と考えれば少女漫画の実写化と何ら変わりはなくないか?というのが私の持論です。どれも変わらず愛の話やんけ!!!と思っています。

 

 

②自分の「すき!」に忠実

初めて「おっさんずラブ」を見た時、キュンキュンが止まらないことに衝撃を受け、「私はおっさんずラブがすきなの?BLが好きなの?」とすごい扉を開いたんじゃなかろうかと混乱して他のBL作品(覚えてない)を慌てて見ました。面白いものもあれば面白くないものもあった。当たり前だけど。だからどんな題材であっても私が「おもしろい!」と思ったものなら「それが好き」でいいじゃんというスタンスをとっています。「すき!」は正義!!!

 

あとはアルバイト先にBL好きを公言している先輩が身近に2人もいたので作品自体にも、それが好きなことにも抵抗が無いのはその影響も大きいかも。私だって誰彼構わず「タイBLドラマにハマってます!」と大声で言えるわけもなく(笑)でもそれも「ジャニーズにハマってます」って言いたくない相手がいるのとあんま変わらないな、と同じ感覚。ただみんながこの感覚を持っているか、と考えるとやっぱり①で書いた抵抗・嫌悪感のフィルターを通れない人が多いのが予想はつくから慎重になる…

とか言っておいてブログにあげてる時点でめっちゃ大声で叫んでるやんというツッコミはあるけども(笑)



➂おもしろい!だけじゃない、けどやっぱりおもしろい。

タイのBLドラマは本当におもしろい作品が多いんですよ…!なんかすごく普通のことを言っているだけの人になっている気もするけど、ほんとにおもしろいんです……

そして、ただ「おもしろい」だけじゃなく考えさせられる部分もあり見ていて学びが多い。同性に恋をするということへの抵抗、親・社会とセクシュアリティ、自分の中にある無意識の固定概念…といろいろと考え込んでしまうけど、とはいえ泣いたり笑ったりキュンキュンしたりして楽しくテンポよく観れることも魅力!

私はただただ胸キュン!楽しい!なドラマも好きだし、社会とか心理描写とかを引き合いにして自分なりに解釈をこねくり回すのも好きなのでそれぞれの好みに引っかかる作品がひとつはあるんじゃなかろうか~と思います。

 

あとは役者さんもタイプの違う顔立ちの方が多い印象なので視認性が高いです。

ただ名前かぶりは多いので見た作品が増えれば増えるほど混乱する(笑)タイでは基本的に本名ではなくチューレン(あだ名のようなものと考えればいいかと)で呼ぶのが一般的なようなので、他作品の役名かぶり、同作品に同じ名前の役者さんが出てたりもします、混乱。まあジュニアの名前100人くらいわかるんだからなんとかなる。

あとは海外ドラマ全般に言えることだけど、違う国の文化を垣間見るのがおもしろい!

食べてみたい料理がたくさん増えました。そして私は今タイ豆知識bot状態なので家では親に、友人には電話でタイ豆知識を披露しています、いい迷惑。

 

そしてなんといってもドラマによっては公式がYouTubeに動画をあげてくれる!しかも日本語字幕が有志のファンによってついている作品もある!ありがたや、、、

日本語字幕が無いものは英語字幕で自力で頑張るか、自動翻訳につっこんでニュアンスで理解するかです…日本語字幕に大感謝しながら観ています。

字幕がないバラエティなどは顔を見てれば大丈夫。

そんな具合に日本からの視聴環境はそれなりに整っています。

 

最近は何ならラブがメインで起こらないドラマだったり、役者さんたちが出ているバラエティも観たりしているので単純にタイにハマっています(笑)というご報告文でした(笑)

 

はやくタイに行ける世の中にならないかなぁ~~~!

みんなタイドラマ見てくれや!




二人のリューン

私から見たリューンのおはなしをしたいと思います。この感想・考察(と呼んでいいのかわからないような何か)は何にも基づくものはありません。それでは。

 

 

「もしも俺が道を誤った時は、お前が俺を救ってくれる。そうだろ?」

「うん……約束する。この身を呈してでも」

 

二人のリューンと滅びの剣をめぐるストーリーは二人のこの“約束”によってはじまったのではないだろうか…

 

 

ルトフの里に伝わる「滅びの剣」

 

それが生まれたのはかつてルトフの里が大国だった頃。

国を愛し、民を愛していたガンドラ王が王という権力に狂い、その権力を脅かす存在であった魔法使いを殺したことによって、魔法使いを刺した。その剣は持ち主の意思を差し置いて殺戮を繰り返す「滅びの剣」となったのだ。

それから滅びの剣は風の魔法使いによって封印され、1000年間その封印は解かれることなくルトフは平和な里として民が暮らしていた。

 

 

―――しかし、滅びの剣の封印が解かれ、そんな生活が一変した。

 

手にしたものは生きるものすべてを皆殺しにするまで止まることができないという滅びの剣、その剣を手に取り敵国・カダの兵のみでなく、ルトフの民も殺し里から去ったダイと、そのダイを止める為に追う決意をしたフロー。

 

滅びの剣に自我を奪われてしまったダイを止める(殺す)ために旅に出ることを決意したフローの頭の中ではこの約束が思い出されていたことだろう。

 

「もしも俺が道を誤った時は、お前が俺を救ってくれる。そうだろ?」

「うん……約束する。この身を呈してでも」

 

  1. 身を呈して 

    その後のフローは、潔癖なまでに「身を呈して」ダイを止めることに固執していた。

     

    滅びの剣に対抗することが唯一できるというドルデンの魔剣を手に入れるため、試し斬りに左腕を差し出したたたらの島。

    ダイと対峙した際には、腕も耳も声も失った満身創痍の状態でも剣を振りかざし、最後には滅びの剣の力に対抗するためには必要不可欠といわれているドルデンの魔剣さえ地面に置き、その身一つでダイを受け止めようとする……

     

    これらの行動は恐ろしいほどに自己犠牲的で、フローに対して畏怖といった怖さを感じざるを得ない。

     

    固執していた」という点においては、ルトフの里に戻った後、事の顛末をフローリアやアリーシャに聞かれた際に「ダイス先生が―――」と答えていたことがとても印象的だ。

    フローにとってダイとの約束を守ることは、これほどまでに犠牲を払ってでも成し遂げたかったことであったのだろう。「ダイを救う」という目的を達成できたにもかかわらず満足気には見えない様子は、ダイをルトフの里に連れ帰ることができなかったからではなく、自らの力で解決することができなかったからなのではないかと思えて仕方なかった。

     

    「約束したんだ!」と命の危険があるにも関わらずダイを探す旅の出ることを決断する素直さ。

    片腕を失ってもなお、たたらの島の人々の幸せを願うことのできる高潔さ。

    ダイを探す旅の途中、滅びの剣とそれを止める力を持つ自身の歌声を利用しようとするファンルンに対しても、自らの命に危険が迫っているというのに協力するふりをするといった小細工をしようとなんて一切しない清廉さ…

     

    そのどれもが眩しいほどにまっすぐすぎる選択で、そのまっすぐさが美しくもあり、危うくて怖ろしい。

    ただ、狂気的で怖ろしくある反面、周りに救いをもたらすことのできる強さの原動力でもあるのだろう。

     

     

    そんなフローの選択は自己犠牲的であり、それも無意識に選んでいるように感じた。

    その無意識の選択はフローの本来持っている“まっすぐさ”と、ダイとの約束ゆえなのではないだろうか。

    冒頭のフローとダイの約束は二人の深い関係、信頼を表すものでもある一方で、ダイがフローにかけたのは呪いなのではないか……

     

     

    たしかにダイのあの約束はずるい。

    あの時はあんなことが起こるなんて誰にも分らなかったし、予想だにしていなかった。

    けれど、「道を誤った時は」なんて言ったということは、いつか自分が間違いを起こすことを予想していたみたいじゃないか…

     

    でも、私は二人のリューンの呪いはもっと前から始まっていたのだと思う。

     

     

  2. あの日のパン

     

    ダイとフローが出会ったのは戦火の中だった。

    同じリューンの里で生まれた二人は、戦争で親や家族を失くし、一人ぼっちになるまで知り合いではなかった。ダイとフローは初めから二人ぼっちだったわけではない。

    出会いのきっかけは一つのパン。

    パンを奪うつもりで近づいたダイに、フローはそれを2つに分け、渡したのだ。

    その時、ダイはどんな感情になったのだろうか。

    パンを奪う行為が“悪”なことはきっとダイもわかっている。

    それでも、「戦争だから仕方ない」「生きる為に仕方ない」と心を決め、パンを持つ自分と同じくらいの年頃の少年に近づき、奪おうとした。

    そんなときに相手から100%の善意でパンを分け与えられたら…

     

    もちろん「なんて優しいんだろう」「これで生き延びられる」と思ったのは間違いない。

    ダイにとってフローは命の恩人に違いないし、お互いに極限の状態だったにも関わらず助けてくれたことに感謝もしているだろう。

     

    だけど…

    ダイにとってフローは自分のできなかった“善”の選択をした人であり、自分の間違いをありありと見せつけてくる存在なんじゃないだろうか。ある意味で両極的な二人、ダイはフローの中に自分の持っていないものを見ることで、無意識的にだとしても、自分の愚かさを映し出されている気分になってはいないだろうか。

    平たく言えばある種の“劣等感”を抱かせる対象となるような存在になってはいないだろうか。

     

  3. ダイからフロー

    そう考えるとダイが目に見えるものにこだわっているのも理解できるような気がする。

    フローが持ち合わせているものは目には見えない「心」の力だ。

    一方で、ダイは実用的で物理的な「武」の力を磨き、そして目に見えない魔法や伝説といった類のものは信じていない。

    その考え方は「あの日のパン」の体験の“善”への挫折からきているのではないかと考える。

     

     まだ過去を引きずり、思い出してはパニックを起こしてしまうフローを守れるような強さ、力。

    それはフローに対する劣等感のような何かから脱却するための客観的なものだろう。

     

    それがダイにとって、物理的な強さを持つこと、剣術の腕を磨くことだったとしたら…

     

     

  4. 互いが互いを

 

今回はダイから見たフローとの切れない繋がりを考えてみた。

しかし、ダイとフローの関係は一方的なものではなく、互いが互いを支え、かつ縛り付け合う関係だと思う。実際に、冒頭で引用した劇中のセリフは「ダイがフローを縛っている」と解釈している方が私個人の体感としては多数派だった。そこから「じゃあ、フローはダイを縛っていた可能性はないの?」と思って…というのは建前で…「そんなのダイばっかかわいそうじゃんか!ダイがこの約束を持ちかけた理由だって何かあるはずだよ!」とダイのモンペ()必死の悪あがきの解釈をしてみたのでした。

 

良くも悪くも互いに引っ張られながら存在し、選択し、生きてきた二人。

滅びの剣が再び封印され、別々の道を進むこととなった二人。

二人が別れて生きていく未来はどうなるのだろうか。

一度別れてしまったら、二度とかつてのような共依存の関係に戻ることはないのであろう。

だって互いがいない世界を知ってしまうのだから。

誰かの隣じゃない“自分”として、

きっとこれから二人のリューンは、一人とひとりのリューンとして生きていく。

 

 

笑顔が似合う君は

 

2019年8月、大阪松竹座

 

 

「『少年たち』かぁ~この前映画3回見たしな…」

 

とかなんとか思っていたら、今年の少年たちは”いつもの”少年たちではないことを知りました。

 

『少年たち 青春の光に…』、、、、、、、、めちゃくちゃおもしろいじゃん!!!

(いや、映画がゴニョゴニョ…とかいう話ではなく、「考えるな!感じろ!」をぶつけられながらの観劇になる予定だったのでこんなにいろいろ考えられるのは!とっても楽しい……!)

 

私の担当である大橋くんが演じたのは所謂”新入り”の立ち位置にあたる<柿本 拓未>。「一番強いのは笑えること」という考え方で雑居房に新しい風を吹かせ、囚人たちに夢を語らせたりととてもポジティブな存在。

一方で、脱獄の際には看守を足止めするために進まないことを選んだ仲間も、志半ばで息絶えた仲間*1も「脱獄」という目的を達成するためには必要以上に同情をかけることの無いシビアさも持ち合わせた人。

 

 

正直めちゃくちゃおいしい!!!!!

雑誌のインタビューで「(主演だった)リューンの数倍のセリフ量」だと言っていたのも納得な重量感!そしてそもそも役柄がめちゃめちゃ良い。

ってだけじゃなくって全体的にものすごくおもしろいお芝居でした!

 

ということでもちろんいろいろ考えてしまったので、というかとっても楽しかった感想を残しておきたいので、私から見た柿本 拓未くん、そして少年たちのお話をしていこうと思います。

 

どうしたって大橋担目線で観劇しているのでその辺の諸々をご了承ください…ってくらいに拓未くんの話ばかりです。なんならおおはしくんの話もあまりしてません。

 

 

 

 

 

規則正しく規律で縛られた少年刑務所

繰り返しの日々の中には喧嘩と看守長をはじめとした看守たちからの不当で過剰な刑罰。

そんな生活の中に風穴をあけるような存在としてやってきたのが拓未くんなのではないだろうか。

 

冒頭の囚人たちがベットにも檻にもなるセットを移動させ、ピシッと揃った動きで刑務所での生活を表現するシーンがとても印象的でした。

そこにやってきた新入りの拓未くんと君麻呂くん。

 

拓未くんは基本的に「笑顔」の人で、「笑顔が一番つよい」「笑うとなんだか楽になる」(セリフは曖昧です)と、今までの刑務所での生活には異質な考え方の持ち主。

 

地獄も天国もない  思い込んでいるだけ

 

このセリフは言葉として私の中に意味を持ってとてもとても響きました。

 

拓未くんってこんな人。

 

だけど、どうしても私には拓未くんは全面的にポジティブな人ではなく、ポジティブであろうとする人に見えました。選択的にそうである人。「笑う」ことで何かを封じているというか、プラスのことを考えるというよりもマイナスなことを「考えない」を選択しているような。

あまり言いたくは無いけれど、これはおおはしくん自身に対して私がいつも思っていることです。

 

 

序盤の桜木と潤平の喧嘩に力で関わるのではなくそこでも「笑ったもん勝ち」と言うけれど、道理が通らないことに関しては暴力も辞さない姿勢に「柿本拓未」という人間は生きているんだなと感じました。

暴力的なことが嫌いだから喧嘩しなかったわけではなく、「時と場合による」。

この判断には拓未の中に確固とした軸があるように思います。

 

この「拓未の中には軸がある」と思ったのは「道理が通っていないことが嫌い」が一貫しているなと感じたから。

 

そもそもの刑務所に来ることになった理由として街のチンピラを懲らしめようとちょーっとやり過ぎてしまったのもチンピラが道を外れた行動をしたからだろうし、看守長への賄賂で優遇されている囚人がいることも囚人を更生させる施設としてあってはならないこと。道理がなっていないじゃないか。

 

この刑務所に賄賂が横行していることを知った時の表情の翳っていく様は最高で、感情がどのように動いたのかがこちら側にも表情や、食事のスピードが落ち一口の大きさが小さくなる…そんな食事をする仕草からも感じ取れました。

 

 

本編全てを通してキャラクターに対して「生きてる…!」と感じる部分が沢山あって、祐二との掃除のシーンもそのひとつ。

 

虐待を受けていた過去から犯罪を犯すに至った自身の心の動き、生々しい事件の描写…あの場面での祐二の告白はなかなか衝撃的で、それ以前は刑務所には不釣り合いな「おどおどした気弱な少年」に見えていた祐二がここにいることが一気にリアルになる。

ただ、囚人同士がどの程度それぞれの罪状や一歩踏み込んだ話をしているのかはわからないけれど、個人的には新入りの拓未にあの話をするのは少々急展開では…?と思います(笑)

 

それでも祐二の話に過剰に反応する訳でもなく笑顔で取り留めないことのように受け止めて、「ひいたよね?」と聞く祐二に「そんなことない!」と、「祐二はやさしい」と返すような拓未だからこそ祐二も話せたのかな?と思わせられるような場面でした。とても温度を持って存在していて好きな場面でした。

 

 

一方で、脱獄のシーン。

迫る看守の足止めのために囮になろうとする桜木を見とめた直後は「無理すんなよ!」と強い語気だったのに、桜木を置いて先に進むことを選んでからは感情のつまみを一気に下げたような声色で、顔で、「桜木、すまん」とだけ告げ先に進む。

 

門の直前、銃で撃たれた幸作に真っ先に駆け寄り、抱きかかえた拓未は自らの腕の中で幸作が事切れたことを感じるとすぐに床に寝かせ先に進むことを潤平たちに促す。

 

この切り替えのシビアさは祐二を温かく受け止めた時の拓未とは対照的に見えるかもしれない。

けれど私はそうは思えなくて、柿本拓未は「人を思いやるひら(拓)いた心」と「目的を達成するための手段をシビアに選択する」両面を合わせもって存在しているんじゃないかな。

もちろんこの二つだけで拓未が成り立っているのではなく、いろんな面を持っている中であくまで私に見えた二つの要素です。

 

そして、目的の達成のためのシビアな選択は冷徹なだけなものではなくて、そちらを選ぶときには何かを振り払うかのように選択しているように私は感じました。桜木を置いていくときもそう、幸作を床に横たわせ潤平に責められたときもそう、そして脱獄をしようと言ったときも。

 

 

 

拓未くんはどんな人生を歩んできてそのような人間になったのだろうか。

 

 

親に捨てられたことを知った君麻呂が半狂乱になったとき、優しくお兄ちゃんのような表情で君麻呂をがっしりと包みこみ、小さい子をあやすように抱きしめた姿を見て、「幼いきょうだいがいたんじゃないかな…」とおもわず考えてしまって。

 

君麻呂を勇気付けるための「親はなくとも子は育つ」というセリフに今にも「そうや!そうや!」と相槌を打ちそうな勢いで右手を掲げる拓未を見て、あなたの家族は?という疑問が消えない。

 

順番に夢を語る場面、拓未は「いい人を見つけて幸せな家庭を築きたい」と語るけれど、周囲からは「普通だ」という声があがる。それに対して「そんなことない!」と返す拓未を見て、

それは叶えたい夢なのだろうか、それとも叶わない夢物語を語っているのだろうか…と

 

拓未くん、家族はいる……?

 

 

 

祐二や潤平は拓未との二人の場面で家族について触れているのに対して、拓未がその話に返す家族の話はありませんでした。本編でわかること以上のバックボーンが語られることはないだろうし、大橋くん演じる拓未くんからどのように感じ取るかは個人の感覚でしかないけれど、

 

私に見える拓未くんは

幼いきょうだいがいるお兄ちゃんで、大切な人を失う悲しみも知っていて、それでいて悲しみだけではどこにも進むこともできないから笑うことを選んでいて、理想だけじゃやっていけないことがあることもわかってる。

 

けれど器用なんかじゃなくって、目的のためにはシビアな選択も厭わない様子は少し危うく見えたし、盲目的なようで…

 

そんな人に見えました。

 

 

 

そんな拓未くんが脱獄を決意するシーンは彼の心が動いているのをとても感じられて好き!

とはいえどんなことを考えているのかはわからないけれど

 

あのシーンで桜木と潤平が揉めているのを止めるのは一幕と変わって拓未ではなく幸作で、拓未の存在が囚人の考え方を変えたのだなぁと、拓未くんの周りへもたらした影響を感じてうれしくなりました。

そうなると拓未はまた次の方向・段階へと舵をとるし、それが看守の失態を引き起こすこと=脱獄だったのかなぁ。すぐに力で反抗しようとした桜木に「俺だってなぁ!」というセリフ、一度目は自分の中でかみしめるように、そして二度目は桜木に直接言葉をぶつけるような力強さで、そこまで強い思いがあるにもかかわらずすぐに反抗するのではなく看守の思うつぼだからと思いとどまれる強さはどこから来るんだろうね…

2回目の言葉の強さが感情のつまみが一気にフルスロットルになったような様子にやっぱりこの人は感情のコントロールが上手だけど時と場合によっては一瞬で狂犬のようになる怖さがあるなと思った。

 

ただ、出来るだけ大きな規模の脱獄を成功させ看守たちの大失態となるような行動を起こすことを選んで祐二は喜ぶと思っていたのだろうか。

看守に反抗しようとしたときに「祐二が喜ぶと思うか?」、そういって止めた拓未が選んだのが「脱獄」なのがなんだか悲しい。だっていくら看守たちが間違っていたとしても、脱獄だって褒められるような正当な選択肢じゃないから。

でもあの時の囚人…もとい少年たちが選べる最善は脱獄しかなくて、きっと今までだって数少ない選択肢の中からけして正当とは言えないような選択をせざるを得ない環境の中で生きてきたんじゃないかな……そして刑務所に行きついてしまった子たちなのではないか。

そんなやるせなさを感じました。

 

 

 

 

劇中で「リュー―――――ン!!!」と叫びたくなってしまいそうな場面がありましたね(?)最後に村田さんと拓未くんについてすこし考えました。

 

 

拓未くんにとって村田さんってどんな存在だったんだろうか。

 

村田さんにとって拓未は囚人の中の一人でしかなかっただろうなと思う。

拓未にとってはどうだったんだろうか。

 

自分とは違う、住む世界の違う人だと思っていたんじゃないかな…

村田さんは祐二へのセリフでもあったようにその世界との境界線が見えていないけれど、道から外れた、転げ落ちた彼ら(囚人)にはその境界が嫌というほど見えていて、道から外れてしまった時についたシミは一生取れないものだってわかってる。

ラストシーンまでとくに村田と拓未が「二人」として向き合うやり取りはないから想像でしかないけれど、

憧れというかなりたい対象としての羨望ではなくて、村田さんのような人が"いる"ことが拓未にとって救いになっているような…そんなことを考えています。

 

だからこそ拓未は村田さんにはきっとまっさらでいて欲しかったんだろうし、その気持ちは自分がシミのついた人間だって自覚しているからこそ思っているという部分もあるのではないだろうか。

 

きっとこのシミはついてしまった本人にしか実感はできないのかもしれない。

だから私には拓未くんの気持ちに実感を持って理解することはできないし、寄り添ってあげたくても向き合うことがしんどい*2。拓未くんの罪を聞いたわたしはきっと「正義感が強いんだね」と言って、「そんなことないよ」なんて困らせた笑顔を浮かばせてしまいそうだな…

拓未くんの大切な人になる人は、きちんと寄り添ってくれる人だったらいいな。そんな人と出会ってほしいな。

 

 

  

 

 

決まりきったことをなぞるんじゃなくて未来を切り拓いていける君だから

きっと、ずっと、これからも笑顔で

そして幸せに生きてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:本当は生きてたけど

*2:それでも拓未くんを演じたおおはしくんが拓未くんのことを「この子」と呼んで、大切に向き合っている、すき…

拝啓、リューンの世界で生きる皆様へ

 

2019年6月、待ちに待った初日の幕が上がり、

そして7月、大好評の中惜しまれつつ大千穐楽の幕を下した、再演『リューン~風の魔法と滅びの剣~』。

 

その作品に登場した、『リューン』の世界で生きていた人たちはどんな人物だったかなぁというのを作品考察に際しいろいろと考えたので、主観100%の全く人物紹介とは言えないようなものだけど残しておこうかな…と思い立ち勢いで書くことにしました。全員について書ければよかったのだけど、私はそこまで器用に観劇できなかったのでリューンについて考えていた時に感じたことが何かある人のみ書いていきます。自由気ままな備忘録です(笑)

 

 

 

  • リューン・フロー

    主人公はフローだと思う

 丈くん、大橋くんのW主演ではあるけれど、私ははじめてリューンを見た時に「これはフローの物語だ」って思った。ファンタジー作品によくある”冒険を通しての主人公の成長”の面を担うのもフローだなって思った。だけど、何か目的のために旅をしてその結果として成長したかと言われるとフローは少し違うような気もしなくはないなと… 

そもそもフローが旅に出た動機って自己から発生したものではなくて「ダイと約束した」からなんだよなぁっていうところにとても特異性を感じる。「身を呈す」ことへの執着、周囲の人はもちろん自分の行動に対しても疑う心を持ち合わせていない怖いくらいのまっすぐさ。その強さは主人公の持つそれだとは思うけれど、フローの成長物語かって言われるとそうじゃないよね~と思ったりもしました。

にこやかな表情で「身を呈してでも」と言ってしまったり、ダイを救うために殺すことを選んだり、ドルデンの魔剣を手に入れる代償として左腕を差し出したり、、、かと思えば最後に自身が滅びの剣に貫かれることを承知でダイに向かって腕を広げたりする…

この共感しがたい選択をするところ、なんならフローの中には選択肢すら存在していなくて当たり前のようにこの行動が一択としてあったのだとしたら本当に「自分の行動を理解していない蜂」だな…と狂気を見ているような気分になってしまいました。

いやぁ~私はとてもフローくんのことが怖くてたまらないし、この怖さの種類は“畏怖“です。とか言ってはいるものの、優しい子だなぁ…とも思っているし、その強さが本当に折れずにここまで育ったのはひとえにルトフの里の人々の温かさと隣にダイ、そしてエルカがいたからなんだろうなとじんわりとした穏やかな気持ちが広がることも確かです。フローくんの存在は光であり救いであって欲しいなと思っています。

 

 

  • ダイス先生/ガンドラ王

  フローに”魔法”という概念を与えた師であり、滅びの剣を生みだした存在。

私は初見の印象が「ダイス先生はずるい」だったのでそこからどうしても穿った見方しかできなくてずっとずるいなぁ~~と思いながら見ていました(笑)

まず、滅びの剣を生み出したのはガンドラ王の弱い心ですよね。民の幸せを願っていたのなら、救ったのが誰であろうと民の幸せを喜びと感じなはれ!って感じなんですけど、やっぱりそれは難しいよね、、、民の幸せを叶えている自分という目に見えない王冠がガンドラ王にとって目に見える王という役割に立つにあたっての見える王冠を被る自信というか根拠になっていたんじゃないかな。

風の魔法使いはどうして物理的な痛みを伴うような罰を与えなかったんでしょうね?いや、不死の呪いが一番しんどいっていうのはまあなんか定石って感じはあるけど…

(これについてはラストのフローとダイが対峙するシーンで風の魔法使いが現れた時にそれらしい台詞はあったと思うんだけど、なんかそれってダイス次第じゃない?そこそんなに主体性持たせる?と思ったような…ごにょごにょ……)

滅びの剣がよみがえった時にダイスは「やっと死ねる」って思ったんじゃなかろうか、本当にダイの事救おうとしてくれていた?という疑問が浮かんでしまったし、「身を呈す」ことにあれだけ固執していたフローからその機会を奪い、1000年の悲願であっただろう死も得ることができたしなんなら自分が生み出してしまった滅びの剣を自らの手で風と共に消すことができた…ってめちゃめちゃ報われてるじゃん!ずるい!元凶のくせに!となってしまうので好きになれませんでした…

ちなみに「本当に救おうとしてくれていた?」というのはドルデンの魔剣の件に違和感があるからなんですけど、これはカーロンの所で書こうと思います。

 

 

  • ダナトリア

  みんな大好き!ダナトリア様!

私はめちゃくちゃ好きでした。一番人間らしいというか共感しやすいなと思ったキャラクター。もちろん非人道的な行動をしてますし、リューンの二人にとっては二度も故郷を奪った宿敵なんですけど…

ダナトリアにとって人を殺すことは「正義」、だけれどそれは残虐な悪魔だと罵られることだってもちろんわかっているし、悪魔になる覚悟をもってその選択をしている。それがめちゃくちゃ人間的だし理屈がわかるなって思って寄り添いたくなってしまいました。(多分寄り添わせてなんかくれないが)

キャスヴィルに向かって「お前は頭がきれる」って言うの、ものすごく印象的で、ありきたりな表現を借りるとダナトリアは「努力と才能」の「努力」の人なんだと思う。敬愛する陛下のためには倫理道徳的には残虐な悪魔となる役割も厭わないし、自分の力量を理解した上で自分にはない部分を持つ部下を評価している。どれもこれも自らの手柄や名声ではなくて陛下にとって良い結果となることを望んでいるようで、ダナトリアと陛下の主従関係はどうやって結ばれたのか興味が湧きました。

ダナトリアの選択に少し疑問な場面があって、おそらく自分のことを頭が良いとは思っていないのであろうダナトリアは賢い方法よりもすべての可能性を”0”にする*1方法を選ぶのではないかと思うんですよね、そこでドルデンの魔剣をフローに渡した/託したのはいつもの選択とは異なるのでは?と考えています。

そして最期、フローに斬りかかるつもりであっただろうダイの剣を迎えに行って刺されるあの選択、どういう心の動きなんだろうなぁ…フローに希望を見たのかなぁ…それともフローの「蜂」としての振る舞いに賭けたのかなぁ…どんな理由であってもあの時にダナトリアにとってフローは取るに足らない小僧でも「せっかくドルデンの魔剣を託したのになんだお前は」でも無くて、己の死に値する人間に見えたのだろうなと感じました。

それでも、ダナトリアがダイに向ける目というか「お前は俺を殺したいのだろう?」という挑発的でいて負けるつもりの無い表情と、15歳のあどけなさの残る顔にまっすぐな復讐を燃やすダイを思い浮かべるとすごくなんか…つらい…………(言葉を探すのを諦めた)

 

  • ファンルン

   きました!ファンルン!

いやさぁ、ファンルンね〜〜〜すごくいいよね!(内容は?)

正直わたし的観劇序盤はファンルンというキャラクターの受け取り方が「全っ然わかんない!わっかんないよぉ!」って感じになってしまってどストレートに「ただのサイコパス?」とも思ったけれど、初演でファンルンを演じた永田崇人くんの少年兵の話もあるようになにか屈折したものがあるキャラクターなんだろうけど…わからない(概念)となっていました。

ただ、観ているこちら側の余裕も生まれてか少しずつ見えてくるものがあって(東京公演あたりからかな?)飄々としているときとぐっと重厚感のあるときのセリフの対比がファンルンの心の内を少し覗ける瞬間のように思いました。

たたらの島を出るときの舟の上での会話で、希望に満ちたことを言ったフローに向けた「そうかな」は表面的なファンルンのキャラクターとしては違和感を持つくらい重たく冷たくて、でもそのあとすぐの「運命はそう簡単に変えられない」は飄々とあけすけな感じで言ったりする。とても好きでした。

 

あとは、ファンルンとダナトリアはどちらも立場上人を殺す役割を持った人として対照的だなとも思っていて、ダナトリアは人を殺すことは悪とわかっていながらその「役割」を正当化させていたけれど、ファンルンは人を殺すという自分の「行動」自体を正当化させるために「人を殺すのが好き」だと言っていそうだなぁと考えていました。まあどちらも「人を殺す」ことを正当化して自分の心を守るためなんじゃないかなって思ってます。

 

 

  • エルカ

   エルカは強くて優しくて勇敢な光。

私はエルカの明るさが理解できなくて、滅びの剣を復活させてしまったのにどうしてここまで明るく振る舞えるのだろう?今からダイを探す(殺す)旅に出るっていうのにどうしてそんなに笑っているの?無邪気がすぎないか???と陽のヒロインに共感することがはちゃめちゃに苦手なせいで終盤まで「かわいいね〜〜お歌上手〜〜」以上のことを考えようとしていなかったことを大反省した。

エコーミュージックを聴いてもいつもは思考停止で歌詞が全然頭に入っていなかった(というかはなから「私にはわからぬ」と考えることをやめていた)せいでエルカの魅力に気がつくのがとても遅くなってしまったのは私のリューン観劇の中での反省ランキング上位に入ります。

あの場でずっとポジティブでいてくれて、ずっとダイを信じていてくれたのはどうしたってエルカだけなんですよね。フローの旅の目的はダイとの約束を守ることにあるけれど、その手段は「ダイを殺すこと」としていて、一方でエルカはダイに「一緒に帰ろう」と変わらず手を差し伸べてくれる。そういられるのはエルカの優しさであり、それを持ち続けられる強さなんだろうなと思います。すきです。

 

  • マーナム

   ここまで結構な熱量で話しているのに対してマーナムに関してはそこまでの話はないんだけど(小声)…ダイにとってマーナムってものすごく大きな存在だろうなっていうのは剣術の師だからだけではなく、マーナムってルトフの里の人間とはまた違った考え方を持っていると思うんですよね。調和を愛する民なことには違いは無くとも剣を持つことを選んでいるのがとても大きい。そしてダイと同じく「魔法」を信じていないというか…

その考え方にダイが影響を受けてああなったのか、それとも元々持っていたダイの考え方にマーナムの存在が師としてはまったからあれだけ尊敬しているのかは鶏か卵かって感じがするのでわからないけれど。

あとはマーナムは外からきた人間なのかなぁとか考えたりもしました。

 

 

  • カーロン

    滅びの剣に対抗することができるドルデンの魔剣を作る鍛治職人

、、、、、私はそもそもここに疑問があるんですが???

いや、だってさ、滅びの剣に対抗できるというのはどうしてわかるの?というところから疑問で、1000年間封印が一度も解かれたことがなかったのだとしたらわかる試しがないし、仮に以前にも封印が解かれたことがあったのだとしてもそれはいつ?誰が?どうやって???となるわけです。

クラートンがドルデンの魔剣に"ほんのまじない程度"の魔法(正確には違うけど)をかけた時のカーロンの驚きぷりったらねぇ!

ただの商売人の謳い文句としての「滅びの剣にもまさるドルデンの魔剣❗️」感が否めないなと個人的には思っています。

 

ただ、現時点で生きている中で滅びの剣に対する知識が最もあるであろうダイスが「滅びの剣に対抗できるドルデンの魔剣」と言っていることが不思議で、もし「所詮たたらの島の謳い文句なんじゃないの?」と思ったとしてもダイスもそう言っているとそこまで適当にあしらうことも気が引ける…とはいえドルデンの魔剣をフローたちに取りに行かせたけれど、自分は結局ドルデンの魔剣ではなく風の魔法使いを探しに行ったということはどうしてでしょう…?「ダイを救う方法はない」って言ってドルデンの魔剣を取りに行かせてフローはそれでダイを殺すつもりなのだろうけれど、ダイスは風の魔法使いを探してどうしてもらうつもりだったんでしょうね?(恨みつらみ)

 

  • リューン・ダイ

    平和を守るため、愛する人を守るために磨いた腕と心が故に滅びの剣を掴んでしまったひと。

魔法に対するスタンスはフローと対照的で魔法の存在に否定的というよりは取り留めのないもの、特に気にするものでも力のあるものでもないと思っているんじゃないかな。

それはきっとダイにとって力が「実体のあるもの」に定義されているからなのかなぁと考えています。それでいくと滅びの剣もはじめは実体が無いもので、封印が解かれる前から興味を持っている、それについては「ルトフの里」の人間ではなく「外」の人間であるファンルンがその存在を信じていることによって少し意識が向けられたのではないかな?というのと、そもそも「滅びの剣」自体になにか人を惹きつける引力が働いているんじゃなかろうかと考えています。滅びの剣が蘇った後のファランディーアの泉で、エルカが狼狽えているにも関わらず魅入られたように滅びの剣に吸い込まれていく様子は一種の妖力に当てられているかのように見えました。

たしかにフローとは違ってダナトリア(カダ王国)に対する復讐の炎はずっと彼の中にあったのかもしれない、本人は気付いていなかったのかもしれないし(私はそうであったと願いたい)、その炎は「里を/大切な人を守る」原動力にもなっていたんじゃないかな。

けれど一方でその炎が滅びの剣に引き込まれた要因なのだろうなぁとも思います。

黒い獣に抵抗していたのに飲み込まれていく様子は、何かしら彼にも黒い獣の言葉が響いてしまう部分があったのだろうなと少し悲しいというか寂しいというか…やるせない気持ちになりました。

結果的には滅びの剣を手にしてしまったし、たくさんの人を殺し「復讐」という連鎖の中に入ってしまったことは大きな罪であり間違いだとも思う。それでも罪に対する救いはなくとも彼の心に何かしらの救いや折り合いがつけられる時がきてくれたらな、と願っているし、拠り所としてルトフの里があればいいな。

 

 

 

つらつらとここまで書いてきたけれど、着地点はどこにもないただの備忘録でした!

また改めて考察もするだろうし、もっとラフな「リューン最高!大好き!ちゅっちゅ😘」って話もするだろうしリューンについては「わかったから落ち着いて……」って言われても擦り続けるかと(笑)

(リューンの話しましょうね!)(圧)(真面目な話、8月中にはリューンのこと一旦全てまとめたいし、私は早く卒論やろうねぇ〜という状況です)

 

おおはしくんからの命を受けて、10年、100年、、、いや、1000年!リューンは最高だったなぁ!と語り続けていきたいなと思います!目指せ!風の魔法使い!

 

 

*1:1.魔王の力を持つ存在がいるかもしれないリューン一族の”皆殺し” 2.ルトフの里に伝わる実在するか確証のない滅びの剣とその伝説ごと消滅させるためのルトフの里襲撃

「すき」のようなもの

 

 

大橋和也くん、入所10周年おめでとう。

 

だいすきです。

 

おわり。

 

 

 

 

いや、言いたいことはこれだけなんだけどもっと書いておきたいな、書きます。

 

 

10年間、私が続けてきたものはあっただろうか。小学校6年生から大学4年生になる今までずっとやっていたことなんてなにも思いつかない。中学高校と吹奏楽部で続けたサックスはコンクールで競うことへの疲れと腱鞘炎で辞めてしまった、これで6年。いちばん長く何かを続けたのはそれくらいだと思う。辞めたっていいけどやりたいから続けた。

 

アイドルって部活みたいだなって好きになったばかりの頃は思っていて、でも、全然違うのも今ではわかった。そのいろいろを言葉にはできないけれどそのうちの一つあげるとしたら「辞める」「続ける」の選択は自分で判断するものであっても自分以外の想いが乗っかった選択をしないといけない、こんなとこかな…

 

 

上手く言えないけれど

おおはしくんのことをすきになって、

応援したいって、

これからを見ていきたいって、

ずっと笑顔でいてほしいって、

世界でいちばん幸せだって思っていてほしいって思うようになったのは

彼が今までずっと「アイドル」であり続けたから。

私がおおはしくんのことを見つけられたのはおおはしくんが「アイドル」であり続けたから。

 

 

それって本当に素敵なことで、アイドルでいてくれてありがとう って言葉はなんとなく私の言いたいことと感覚が食い違ってはいるけれど、その選択をし続けてくれてありがとうって心から思う。

 

2009年4月3日に大橋くんはジャニーズ事務所に入所して、ジャニーズのアイドルになったけれど、その日があったからここまで続いている訳じゃないというか。10年前から今日まで、2019年の4月3日までアイドルでいることを選択し続けたから今があると思っている。上手く言えないんだけど。まあとにかくおおはしくんのことがだいすきすぎてよくわからない話をし始めてしまった。好きに免じて流してほしいな

 

 

 

すきな人の幸せを願うのって、それはもう「愛」だと思っていて。いきなり重たい話をします(笑)

 

私は一度「ほんとうにすきだ!」って思ったら結構ずっとすきな方である。なんか全部すきになっちゃう。今までずっと続けてきたことを考えた時に趣旨が全然違うよなとは思いつつ、中2の時に初めて好きになった俳優さんのこと、今はもうそこまでの熱量はないけれど人としては今でもずっとすきだなーなんて考えていた。私はその人の活躍を全て見ていなくても、彼が自分のやりたいように俳優という仕事を楽しんでいてくれてたらって、好きにやってくれっていつも思ってる。王道な役も癖のある役も沢山して欲しい。わたしの知らない顔がどんどん増えていくのが楽しくて、嬉しくて仕方ない。あとはもっと売れてほしいなとも思う。

 

そのくらいの大きなふわっとしたかたちのない感情は「すき」よりも「愛」なんじゃないかな〜って。

 

それでいくと基本的にわたしのスタンスはおおはしくんに「愛」である。でも局所的に「すきーーー!!!」ともなる。こんな文章書くときは「愛」じゃなきゃやってらんないけど、いざ本人を目の前にすると(物理的な目の前じゃなくても)脳内のゴングががんがんと鳴り響きながら「すきーーー!!!」って叫んでる。めちゃめちゃすきだよ!!!!!!!

 

 

すきってなんだろな〜って、おおはしくんのこと応援したいって思ってからほとんど一年が経ったところで考えてみたけれどまだわからないみたい。相手によってひとりのわたしの中であってもすきのかたちも愛のかたちも変わるんだろうな。わたしとおおはしくんの間にある「すき」のかたちを早いとこ上手く見つけたいな〜と思っている反面、ずっとよくわからないまま気まぐれな奇跡に酔ってすきでいたいな、とも思うのです。わからない方が楽しいから。

 

 

 

ジャニーズの大橋くん、アイドルの大橋くん、10歳のお誕生日おめでとう。

 

 

これからもお祝いしたいな、そしてお祝いできる記念日がもっとたくさん増えていくといいな

 

おおはしくんにもっと「おめでとう」って言いたいよ

 

 

いつも「幸せだ」って伝えてくれてありがとう、おおはしくんのことを知れて私も幸せです

 

 

いちばん星をみつけた夜

 

 

 

2018年2月。わたしはハタチになった。

 

と同時に、

 

 

ジャニーズにハマった。それもジュニアに。関西ジャニーズジュニアに。

※関東住み

 

 

 

 

今までジャニーズはおろかアイドルにハマったことの無かった人がいきなりジャニーズにハマったお話です。この一年を振り返るためにほとんど自分用の記録として書いていきます。めちゃめちゃに暇を持て余している方はこの先もお付き合いください。先に言っておくと内容はないです(笑)

結論だけ言うとおおはしくんが好きです(真顔)

 

 

 

わたしが関西ジュニアにハマったきっかけはまいジャニを見たことだった。

え!?ジャニーズJr.めっちゃおもしろいな!?!?

ただ単純におもしろい番組だなぁと思ってYouTubeで見漁った。ただ、バラエティ番組としておもしろいと思ったし、わたしはジャニーズの事は何にもわからなければ曲だって全然知らないから正直言ってshow timeには興味が湧かず飛ばしたりしながら見てた。

 

 

わたしは自分でも引くほど凝り性なので、適当に関連動画に出てくるものを順に見ているうちにせっかくならとその時点で放送回数はゆうに200回を超えているのに第1回放送から見ていくことにした。(凝り方が怖い)

その流れで初めてまじめに"アイドル"として歌って踊る彼らを見て、「もっと見たい!!!」と思った。少女時代とハロプロの歌って踊る動画を見漁っていた時期もあるためそもそもパフォーマンス動画は好き。

 

そこからは怒涛の名前と顔を覚えるターン。パフォーマンスを見るんだったら名前とお顔も覚えたいよね!という精神。元々関西ジュニアに関しては『母になる』でみっちーはお顔と名前、なんならフルネームを知っていて、VS嵐や『あさが来た』で西畑くんも知っていた。あとは炎の体育会TVで「えらいインパクトのある名前だなぁ!?」となった記憶もあって古謝くんも名前のみ聞き覚えがある、という状態から「こうなったからには(こうとは?)全員おぼえるぞ!!!」とまいジャニの中でも比較的大人数が出ている回を集中的に見ながら覚え、今はもうやめてしまった子も合わせておそらく6、70人は覚えたんじゃなかろうか。まいジャニ様様。新春運動会スペシャルとshowtimeスペシャルは名前を覚えるのにもってこいでした。ツイッターでたくさんステマシートを見たし、はてブロもたくさん読んだ。

 

名前を覚えてから見るパフォーマンス動画を見るのめちゃめちゃ楽しい!

関西ジュニア最高じゃん!!!

面白いトークをする男の子たちがバチバチにアイドルをしている姿がとてもかっこいい!!!

 

そして、私は西畑大吾くんにめちゃめちゃに惹かれたのでした。ちゃんちゃん。

 

 

、、、、、、、、、、、、、、、?

 

 

 

はい、実は、多分あまり人に言ったことがないけれど、わたしが最初に惹かれたのは西畑くんでした。かわいいお顔と男らしい表情のギャップ、彼の人間性、とても素敵な人だなと思った。これに関しては今も思っていることだから過去形ではないけれど。

酔った勢いそのままに入会したジャニーズweb、ランダムで表示されているJr.のプロフィールを一心不乱に西畑くんが出てくるまで更新し続けたこともあったくらいである。ちなみにわたしの元々の人の好みとしては大橋くん、ひたすらに顔が好きなのは長尾くんだなぁとぼんやり思っているという状態。ここまで来るのに約1週間。

 

 

そこらへんでJr.担の友人に現状を伝えると、「もう完全にはまったね、次は東京を覚えて」とのお達しが。友人の担当はもうやめてしまったけれど東京のJr.でした。テレビ誌に載っていたJr.名鑑(祖父母の家にちょうどテレビ誌があって、ちょうどジュニア名鑑の時期。ちょうどよすぎる。)片手に少クラの録画をちょこちょこ止めつつ顔・名前・所属グループを覚えるお仕事。2週間くらいでSnow ManSixTONESTravis JapanLove-tuneHiHi Jets東京B少年まで覚えた。こわい。覚えてって言ってきた友人もいきなり私がそれなりにJr.の話ができるレベルまで仕上げてきたからちょっと引いてた気がする(笑)

 

Jr.担友人「Jr.はDVDないよ!コンサート行くしかないんだよ!関西はやめときな!」 

 

私「まじか!さすがに大阪はいかないかな~(笑)(笑)」←壮大な伏線(数か月後に回収します)

 

ここまでが準備体操。こっからは時系列で追っていこうかな~~~

 

 

 

 〇2月:関ジュにすってんころりん

 

 狂ったようにYouTubeでまいジャニを見る。西畑くんすき。嵐のFCの「好きなタレント」を教祖にあやかって二宮君にした*1。西畑くんが歌う「Love Situation」を見て叫ぶ病気に罹る。動画をスクショすることを覚え始める。

 

まいジャニ本編よりもshowtimeの方が楽しくなってきたところでなんかぽやぽやしていてかわいい~ウケる~と思っていた大橋くんの「follow」を見てひっくり返る。

 

 

かっこいい人のかわいいよりもかわいい人のかっこいいに弱い。

 

 

そんなこんなで関西ジュニアというきらっきらの世界の虜になりました。

でも、凝り性で飽き性だからこんなに楽しい世界を見つけたはいいもののいつ飽きてしまうのかと自分にビクビクしてた。

 

 

 

 

 〇3月:迫りくる大橋和也

 

だれがすき?って質問に「おおはしくん!」って答えるときもあれば、「コンサートでうちわを持つとしたら?」に対して「にしはたくん!」と答えていたり……

 

そんな中ツイッターで"レポ"とやらを読む文化を知り毎日狂ったように「春松竹」と打ち込みまくっていたある日、「春松竹 大橋」と無意識に検索をかける自分に気付く。おおはしくんのことが…気になる……

 

ほとんどのメンバーを瞬時に顔と名前や諸々の情報を自然に思い浮かべられるようになった頃、スマホのちっちゃな画面でも大体誰が踊っているのかがわかるようになり、in大阪の「BIG GAME」でどうしても目を引くと思っていた人の正体が大橋くんだと気付いた。2月3日を「2千3日(にせんみっか)」というハチャメチャ具合が癖に刺さる。かわいい。その頃の私は「大橋和也がかわいい。人類愛に目覚めた。」って言ってる。意味がわからない。こっわ(笑)

 

関西ジュニアのカレンダーを買ってみた。初めてのお買い物です。正直買うか迷っていて、買う踏ん切りがついたのはその日遊んでいた友人が年会費5000円のシナモンのファンクラブに入ったと言ってきたから。たっか(笑)2000円ちょっとなんて大したことないか~と言って即購入。初めての紙媒体とのご対面、ぎりぎりまで近づいて「画素が見える!!!」と興奮してました。(は?)

にしはたくんかっこええなぁ~~

おおはしくんの腕おいしそうだな~~

 

この頃過去のとれ関も終えるだけ全部聞き終わり、まいジャニレギュラーとラジオに出ているメンバーは声での聞き分けも可能になります。

 

毎晩一心不乱にまいジャニと少クラの録画をお酒を飲みながら見るという幸せを知る。※良い子は真似しないでね(^_-)-☆

 

 

〇4月:#担当とは(悟り)

 

3月末の結論は「関ジュ箱推ししよ」。

最初にすきだーーーー!と思ったにしはたくんよりおおはしくんに惹かれていく自分にちょっとの抵抗からの結論。

 

 

友人に付き添いを頼みスタ誕を買いに行く。ここら辺まではジャニーズに使ったお金を把握してたなぁ…(遠い目)

道頓堀でおみハピを踊り歌うみんなが愛おしくて毎晩見たし、ポップコーンを両脇に抱えてにこにこ笑う大橋くんがSUKIだ。

 

滝沢歌舞伎の出演者が発表される。気付いてしまった、名古屋って大阪よりも近くない???

 

 

ジュニア情報局入会

 

 とはいえ何の抵抗か、滝沢歌舞伎の申し込みには2時間ほど間に合わない時間に入会した(笑)

 

局動画を見た私「大橋和也がいる世界線で息できていることだけで充分」「あの可愛さは世に広まるべきなので大橋和也応援上映しましょう」「大橋和也が愛」

こわい…そして現在苺谷星空の姿で応援上映が実現されているんじゃ……

 

 

とはいえ「好きなタレント」をはげ散らかしそうなほど悩んでおおはしくんにした。お前まだ悩んでるのって感じ。

 私の勝手な感覚として「好き」とか「ファン」を名乗るのって双方向に責任が発生すると思っていて、そうなったときにジャニーズ文化をあまり理解できていない状態の私が「担当」を名乗るのっておこがましいな~と思っていました。なのでとりあえず「推し」のおおはしくん。

 

 

〇5月:大橋和也しか見えない

 

リバイバル上演している映画館を見つけたので『ラストレシピ』を映画館で見た。すごかった。と同時に「担当という概念では違うな」と思った。

なんてったってその前日に関バリを聞いてしまったから。

 

「また今日と同じ明日が来る」。おおはしくんしか見えなかった~~~びっっっくりした。1秒でも長くおおはしくんのことを網膜に焼き付けたかった。スキ……

 

いちばん身近なjr担の友人との旅行で「担当」について語ったら考えすぎだと言われ、どう考えても大橋担じゃんと言われたので、そのあともちょこっと悟りを開いたのち、

 

大橋和也くんの担当になりました!!!

 

その後一般で滝沢歌舞伎のチケットを取ることができ、舞い上がってあほの一つ覚えのように「担当」を多用しはじめます。ツイッターはじめました。(最初は壁打ちアカ)

 

 

 

〇6月:しゅきしゅきポエマー期

 

おおはしくんの59㎏が好きです(唐突)

なんでおおはしくんのことが好きなのかずっと語ってた。

おおはしくんばぶ。と思ったら成人男性。混乱。とはいえらぶ。

 

現場にいってみた

お友達に誘ってもらい初ジャニーズコンサート!

キスマイ@東京ドームに行きました。めちゃくちゃ楽しかった!!!!!!!知ってる曲はもちろん初めて聞く曲もMCもずっと楽しかった!

 

初ひとり観劇。りゅちぇがトンボ役を務めた『魔女の宅急便』を観に行きました。そういえば双眼鏡もこのときがお初。双眼鏡をのぞいたら、いつもテレビで見ているかわいいお顔が視界に飛び込んできてびっくりして一度双眼鏡を下げました、すてきなミュージカルだったな~

開演30分前くらいに行ったんだけど、同年代の女の子があんなにたくさん同じ目的で集まっている状況に恐れおののいてしまい、開演10分前まで向かいのドトールに避難した(笑)

 

そして!初おおはしくん!滝沢歌舞伎

初めて自分の目で見たステージの上に立つおおはしくんは本当に最高で、大好きでした。(語ってしまうので何も言いません)

 

〇7月:ココで逃したらもう 二度と出逢えないC'mon?!

 

一般もだめで夏松竹に行けないことが決定したため一通り虚無った後なんだかんだで忙しかったりしてあまり記憶がない。

 

KEN☆Tackeyさまさま。夜会のおーはちくんかわいかったね。

 

学科の友達が教室で東京B少年(当時)のananを読んでいたのでナンパしました、龍我担でした。

 

〇8月:超絶エモエモ病

 

深夜テンションで書いたおおはしくん21歳おめでとうブログ(今は下げてます)のラストを引用。

 

大橋くんの幸せがわたしの幸せ、わたし(ファン)の幸せが大橋くんの幸せに繋がる*2、こんな素敵な関係ありますか?

 

わたしはまだまだ新規で、関ジュを知ってから半年、大橋くんのことを応援してから4ヶ月しか経ってない。

それでも、大橋くんの担当になるって決めてから一度も後悔なんてしたことないし、毎日楽しいのに加えて、すっごく幸せになれる瞬間がたくさんあった。

応援してる人をこんなに幸せな気持ちにしてくれる君は天才だよ。

 

 

 

ただ!!!

大橋くんが前に進んでいくならわたしは置いてけぼりにされたって本望だし、差し伸べてくれた手は足踏みさせないようにすぐに気付くからな!!!

わたしの幸せは大橋くんの夢が一つでも多く叶うこと。

ジャニーズ事務所に入所して、関西ジャニーズJr.になってからたくさんの経験を経て変化していくのは当たり前だと思う。

だからこそわたしは「いま」の大橋くんを応援したい。

 そんなあなたを応援できることがわたしの幸せです。

 

 現場にいったよ

 東京B少年単独にお友達と行きました。あたまにペンラがぶち当たったのでいーえっくすしあた~は怖い。金指くんが一世さんでやばかった。び~の推しは一世さんです。

 

〇9月:な、なんじゃこりゃぁ~!!!「悔」

 

少年収に行きました。「梅芸よりも先に大橋くんがアイドルしてる姿が見れちゃうなんてラッキー♪ミッデビ見れちゃうかも♪」なんてへらへらしながら行った。

 

「3列目」の意味を身をもって知った。「3列目の逆襲」という合言葉のようになっている言葉の意味を今までとは比じゃないくらい実感した。雨が降る渋谷を泣きながら歩いた。悔しい。あんまりそんな感情になったことがないし、まさかおおはしくんのおたくをしていてなるなんて思ってなかったから自分にびっくりしちゃった。タイヨウのうたもあったしね。

 

現場にいったよ

リア友にエビ中オタがいるのでその子を誘って『タイヨウのうた』を観に行きました。終わった後、隣のお友達を見たら「ひなたぁぁぁぁ」って言いながら号泣してた。

 

〇10月:衝撃の秋

 

なにわ男子結成おめでと~~~~~!!!!!!!

 

いやぁ~~~~~~いろいろあったね!うん!

 

 

この頃はおおはしくんについて・丈橋について(丈くんについて)めちゃめちゃいろいろ考えこんでた。考察大好きオタクだから好き勝手二人の事を考えていました。気持ち悪い文章がたくさんある(笑)

 

現場にいったよ

 めちゃくちゃに恋した。

lovein.hatenablog.com

 

 

〇11月:悟りの境地へ行く

 

滝沢歌舞伎の稽古風景で情緒が死んでしまってすごく激重な感情になった。大橋くんがこちらに見せたいものだけ見ていたいな~というスタンスが完成しました。

 

現場にいったよ

クリパがまさかの初日。幕の間から見えるシルエット。大橋くん。最高だった。あの一瞬で「おおはしくんのこと大好きだ」って思った。

 

 

〇12月:ばたばたばた

 

テレビで歌ったね

 

リューン再演決定!!!

リューンを見れなかったことが本当に心残りで仕方がなくて、大橋担になってからほんとうにそれが私の心のどこかにずっと引っかかっていて内容も好みで。見たくてたまらなかった。本当にうれしい。倍率えぐそう。。。

 

現場に行ったよ

嵐5×20。行けてよかった!本当に。

 

ちゃっかり影山くんにおちた。滝沢歌舞伎ZERO楽しみ

 

 帝劇にも行ってきた

 

 

 そんなこんなで疲れちゃったのでいったん締める、また追記するぞ~

わたしが"アイドル"というたっくさんの星の中からいちばん最初に見つけた、いちばんひかってみえる星がおおはしくんです。

みんなそれぞれのいちばん星がいると思う。おなじ大橋担でもおおはしくんの輝き方も それぞれだと思う。わたしが「ファンになりたい」「担当って言いたい」と思ったのはおおはしくんに絶大な信頼があるから。この信頼の形は「誰かと比べておおはしくんが一番」って言いたいんじゃなくて、私の「信頼を測る定規」におおはしくんがぴったりだったのです。それは歌やダンスのスキルかもしれないし、性格や、おもしろさや、項目はたくさんあってどこをどのくらい見るかはみんなの定規がある。

 

おおはしくんは私のいちばん星だよ。

*1:母が大野くんファンのため嵐のFCには入っていた。

*2:ファンを幸せにしたいという言葉を大規模に意訳